「……」
妖精さんが広く発見されはじめた頃ころ。すなわち国連調停理事会発ほつ足そく当初は、極めて冷静かつ慎重な判断が求められるとして、その服務規程は一二六条まであったそうです。
それが百年、二百年と経たつうちに、ほとんどの項目が失効──規程から除外されていました。
今では数項目しか残っていません。
すでに罰ばつ則そくや処分の制度もありません。
名ばかりの閑かん職しよくです。
しかし今でもたったひとつだけ、例外の項目があります。
第三条 調ちよう停てい官かんは、所属長の監督下で、次の各号に示す職務に従事するものとする。
(1)担当地域における異種族との円滑な関係構築を試みる
(2)種族災害発生時に監督者にその旨むねを通報すると同時に、必要な措置をとる
(3)異種族社会に同種間凶悪行為・大量虐ぎやく殺さつ・戦争等の悪あく弊へい及びその徴候が見られた場合、監督者にその旨を通報すると同時に、直ただちに諸問題に関する原因・発ほつ端たんの究明にあたる。なお理事会の支援が得られない状況であった場合、調停官の臨機の判断によって可能な限り事態の平和的解決を試みる
第三条第三項。
これだけは、今においても?生きている?唯一の服務規程であると言われています。
近代都市化の引き金を引いたり、狩しゆ猟りよう行為を提案したり、わたしはけっこう危ない橋を渡っている気がしないでもありません。
だから今、妖精さんたちの文化水準が低く一定しているのは、決して悪いことではないはずなのです。
そうなのです。停てい滞たいではなく、安定です。安定万ばん歳ざい。
妖精さんに今の水準を維持してもらう。正解はこれなのです。
記録だってしやすくなりますしね。
「えものはっけんー」
妖精さんのひとりが声をあげました。
その示す先に、ペーパークラフトのマンモスが一頭、ぼんやりとひなたぼっこをしていました。
「へー、マンモスですか。第五期といったところでしょうかね。うふふ。恐竜さんと戦ったらどっちが強いんですかねー」
わたしは子供みたいな疑問を口にしました。
妖精さんもまたさらっと答えましたよ。
「さうるす、みんなほろびましたさ」
一晩でほ乳類の時代になってマンモス!(メチャ動転しています)
見えないところで歴史は動いていました。しかも数千万年分。
それにしても二次関数って二乗に比例する関数ですよね(冷静なことを言っているようですが混乱中ですから)。
「早すぎる……時代の流れが早すぎる……」
あの奇妙な鳥類たちの台頭を見て、察するべきでした。
まったく最近の人類ったら油断ならない。
「そんじゃかりだー」「かりーかりー」「あっちのわなにおいこむです」「ごーごーごーごー」
攻こう撃げきがはじまります。
ぴゅんぴゅんと槍やりが飛び、マンモスにぷすぷす突き刺さりました。
とたんにマンモスは「ぱおん」と鳴き、向こう側へと逃げていきます。
そして落とし穴にあっさり落ちました。
あとはいつも通りの展開です。
息絶えるまで攻撃は続き、バッファローの頭ず蓋がい骨こつっぽい折り紙帽子をかぶったきゃっぷ氏が、とどめをさしました。
妖精さんたちが期待をこめて、マンモスを解体していきます。
体内から出てきたのは……
「どこかで見たような……」
手作りワッフルを、保存のため通気性の低い包装紙で密閉したものでした。
表面には見たことのある、といいますか、描いた覚えのあるかわいい妖精さんのイラストが賑にぎ々にぎしく……
「……完全にわたしの作ったお菓子ですやん」
出来レースに全財産むしられたような気持ちになりました。
なんかこの世界、せまい。
「どーしました? たいりょーですが?」
「いえ……問題ありませんけど……ちょっと疲れて」
デイノニクス軍団に奪われたものですが、察するところ、食物連れん鎖さで継承されていき、しまいにはマンモスの体内におさまったんでしょう。
「どーぞー、おれーです? おれーです?」
「どーもー……」
自分の作ったワッフルを贈り物として受け取るのは、とてもむなしいものですね。
紙を破って、かぶりつきます。
人前ではできない食べ方です。
多少へたっていますが、世界で一番おいしい格子模様が口内でばらっと砕け、局地的な幸せが生じました。こんなものに誤ご魔ま化かされるのが女の子というものです。
「……紅茶欲しいなぁ……」
今ならがぶ飲みできそう。
「さー、たたむよー」「おー」「たためたためー」「これくしょん、ふえるね」「はこにもどして、おかしいれると、なんかしあわせです?」「もっとかるぞー」「ぼくら、かりだいすきっぽいね?」
妖精さん、変な方向に進化しないといいんですが。
『あーさひーたーだーさーしーきらめーくまーんもーすー♪』
凱がい歌かも高らかに、帰路につく途中のことでした。
それを目もく撃げきしたのは、またしても茂みの隙すき間までした。
わたしはどうも、変なものを発見するのがうまいようです。
「……………………」
ああ、今の心境をどう記録したものか。
名状しがたい感情です。
悪い予感がします。
だって、茂みの合間に見つけたもの。
たまたま目があってしまった存在。
それは、
いわゆる、
なんというか、
簡単な衣服を身につけ、
道具らしきものを手にした……。
「あ、あ、あ」
頭の中で、いろいろなものが連結される気配を帯びます。
事務所で見た奇妙な生物系紙風船。
恐竜たち。
五センチの怪鳥。
二十センチの恐鳥。
マンモス。
そして今さっき見た──
「そうです……見なかったことにしましょう」
「はーい?」
「いえ、こっちの話です。おきになさらず」
「?」
くに、と首をかしげる妖精さんには悪いのですが、わたしにはこの件の結末が見えてきました。
茂みの間にいたのは、まあ恐らく、いえ間違いなく……ペーパー原始人だったのですから。
自宅に戻ると、律りち儀ぎにもおいしい夕食が用意されていました。
フレンチフライとこんがりと揚げた白身魚にキャベツのサラダ。
よく歩いた一日なので、とてもおいしかった。
自分の欲求が満たされた後、祖父にわたしの見たものについて打ち明けました。
「おまえというやつは……」
祖父は額を手で支えてため息をつきます。
「内政干渉どころの騒さわぎじゃないな」
「すみません。でもお話しできてよかった。ひとりで抱えているのは不安すぎました」
「食う前に話せ、食う前に」
「はあ」
「まったく。……だが恐竜を見た時点で、予測すべきだったな。彼らは旧人類が辿たどった再現を好むのだと、おまえ自身前回のことで知っていたはずだろうに」
「ごもっともであり、返す言葉もございません」
「気になるか、彼らの手にしていた道具が」
「はい……あれは……初歩的な作りではありましたけど……あれは……間違いなく……」
わたし自身が、日ひ頃ごろからよく使っている道具の名を出します。
「ホイッパー(泡立て器)でした」
朝早くから、村の方に顔を出すことにしました。
草原にさしかかると、早くも胸騒ぎがしてきます。
「……いない」
ペーパークラフトの気配が、まるで感じられないのです。
シンとして、できたての頃ころの草原に戻っている気がしました。
不自然です。
不安の糸に引っ張られるように、わたしは村を目指します。
「まだあった……よかった」
いつもと変わらぬ様子で、村はそこにありました。
妖精さんたちもちゃんといて。
「はろー」「にんげんさーん」「おこんちです?」「きょうもひまです?」
「どーもどーも」
きゃっぷ氏もいました。
「こんにちは、きゃっぷさん」
「……え、ぼく?」
折り紙カブトを頭に載せた妖精さんが、小首ではなく全身で傾かたむきました。
「ぼく、きゃっぷさんじゃありませんですが?」
「……え、だって?」
顔つき、は……まあみなさん同じ感じなので。
風変わりな帽子をかぶってるのは、彼だけだと思うのですけど。
「あら、あなた……日焼けしてたのに、妙に白いお肌に戻ってませんか?」
「けっぱくなのでー」
誉ほめられたと思ったのか、嬉うれしそうです。
「日焼けって回復したりするのかしら……でもあなたたちですもんね」
「ぼくら、ぼくらです」
「なるほど」
「ちなみに、ぼくはかぶとです」
「お名前、変えられたんですか」
「じんせい、にゅあんすですゆえ」
「攻めの人生ですね」
「せめせめですー」
「攻めの姿勢はいいんですけど、狩りはできそうにないですよ、もう。動物さんがいなくなりました」
「あー」よく理解していないようでした。「なぜだー?」
「絶滅したっぽいんです」
「ぜつめつされるとこまります」
「狩しゆ猟りようしすぎたんじゃないですか?」
「そんなにかって、ないですが?」
「いや、きっとわたしの見てないところで狩りまくってます。記き憶おくしてないだけです」
「ほー?」
相変わらずの、のんき反応。
「第六期は狩れないですよね、さすがに」
「だいろっきとは?」
「原人とか猿人とか、霊れい長ちよう目もくシリーズがそのあたりじゃないんですか?」茂みで見たものを説明します。「身長は十センチ前後、おまけに人間タイプですからね」
紙ですけど。
「道具を使っていたということは、知能が高いということですから……ペーパークラフトといえども抵抗がありますよね」
「なんだかわからんですけど」
「うーん」
「わっふる、まだまだいっぱいあるです。おかしもいっぱい、あります。だからかりは、いまのとこ、いいのです」
まるで明日を見ていませんね。
「とゆーことで、きょうもうたげ。にんげんさんもどーぞ」
「おかしでーす」「うたげー」「にんげんさんー」「らーららー」
たくさんのお菓子が運ばれてきます。
中には、見たこともない種類もありました。
少々興味を引かれます。
「仕方ないですね」
スイーツな時が過ぎていきます。
次はティーセットを持参しよう、と決意します。スイーツにはティーだと遺伝子が叫んでいるわけで、この素晴らしい文化を彼らにも伝えない手はありません。
「ちなみに、こういうの飽食の時代って言うんですよ」
「ほー」
ダメですね、この人たち。
「油断してると、台頭してくる新種族に攻め滅ぼされてしまいますからね」
「まさかー」
オロローン!
台頭してきた新種族が攻めてきました。
「ぴ───っ、てきしゅ──────っ!?」
誰だれかが叫びました。
慌あわてふためく村人たち。右往左往。
チームワークはゼロです。
対策ひとつ講じることもできず、敵の突入を許しました。
たちまち村は阿あ鼻び叫きよう喚かんの巷ちまたと化します。
「わー」「ひー」「うぴー」「てきですー」「はいってきたー」「にげれー!」
攻めてきたのはペーパー原始人でした。
昨日、目もく撃げきした彼らです。
いや、もう原始人と言うのもためらわれる、高度に統制された軍勢です。
生身ではありません。武装しています。
紙の鏃やじりと竹ひごで作った槍やり、紙の兜かぶと、紙の鎧よろい。
石器ならぬ紙器(しき)文明のようです。
「しかもあれ……馬……?」
ペーパークラフトの馬を家畜化し、騎き馬ばにしているのです。
騎馬というものは、わたしたちが想像するより遙はるかに戦せん闘とうに寄与します。
武具にも差がありました。
見たところ妖精さんは初歩的な槍しか持っておりません。
彼らのスタイルが、それ以上の技術を必要としなかったためです。
対してペーパー原始人は、全身を高度な武具で覆おおっています。
しかもただの紙ではありません。
そう……ダンボールです。
ダンボール、それは最強の紙。
強度があり、どのような重量物でも梱こん包ぽうすることが可能です。
その用途は広く、旧人類最盛期には寝具や住居にも利用されたと伝わっています。
住居というのは、ちょっと想像つかないんですが。
「強度の面で、ぺらぺらの紙とは雲うん泥でいの差があるはずです」
「ほほー」
「……落ち着いてますね、こんな時でも」
「たいがんのかじ、だから?」
超クール。
「でも明日は我が身ですよ」
広場では遅まきながら防衛線が張られています。
ですが戦う術すべを知らず、ろくな武器を持たない妖精さんは、あっという間に騎き兵へいに蹴け散ちらされてしまいました。
「あー!」「つよいー」「かたいですー」「なんてことー」「かなわぬですー」「にげろー」「ぴ───っ」「のー!」
妖精さんはそのまま散り散りになっていきます。あーあーあーあー。
騎き兵へいはこっちにもやってきました。
「ほら来た」
「あらー?」
「あなたも逃げた方がいいですよ。いじめられますよ」
「そーしますか? にんげんさんと、またあいますか?」
「次のお祭りがあれば」
「なるほどなー」
喜怒哀楽からまんなか二文字を抜いたようなのんき顔で、うんうんとうなずきます。
「またいずれ」
ぴゅんと吹きすさぶ風の速度で、姿を消してしまいました。
騎兵は人間には興味がないようで、わたしのことは無視して駆け回り、村全体をくまなく荒らし回りました。
ひとりが、マンモスのツノ部分をそのまま槍やりに加工しているのを見て、わたしも納得しました。
マンモスを狩っていたのは、妖精さんだけではなかったのです。
わたしの見ていないところで、もっといろいろな大型動物がいたんでしょうね、草原には。
同じ地域に住む二種族がこぞって狩りを行ったものだから、狩しゆ猟りよう圧あつが高まって一気に絶滅してしまったのでしょう。
残されたのは、草原の二部族だけ。
闘とう争そうは必ひつ定じようだったと言えましょう。
そして今、最後の淘とう汰たが終わろうとしています。
妖精さんは次々と柵さくを越え、草原へと追い立てられていきました。
天幕が倒され、柵は破は壊かいされ、貯蓄していたわずかなお菓子も奪われ、広場に積み上げられていきました。
文明の終しゆう焉えんの光景とは、こういうものです。
「無情だなー」
こうして、ひとつの時代が終わりを告げました。
逃げゆく小さな友に向けて、胸の前で小さく手を振ります。
「みなさんお達者でー」
「おい、孫娘」
書き物を中断させられると、奥ゆかしい乙おと女めであるわたしですが、ついつい「うー」となってしまいます。
「……なんですか」
「ひどい顔だ」
不機嫌がもろに顔に出るタチですから。
でもせめて優雅に?憂うれい?と言ってほしかった。
「ほっといてください。何です?」
「あのな、廃はい墟きよで奇妙なものを目もく撃げきしたといううわさが里で広がっているんだが……」
「奇妙なもの、というと?」
祖父はわたしに疑いの視線を向けてきました。
「紙でできたゾウやらトラやらが、うろついているそうだ」
「……」
わたしと祖父の目線が、まっすぐにぶつかりました。
「おまえ、今日は彼らの様子を見に行ったか?」
「いえ、だってこれ書いてて……それにおかしいです。妖精さんたちは散り散りになったんですよ? もう誰だれもペーパークラフトを作ってないはずです」
「知っているが、本当に解散したのか? 聞いた話では、そういう哺ほ乳にゆう動物群はまだリリースされていなかったはずだが」
「散ってますよ。わたしの目の前で。紙人間たちに侵略を受けて」
「うむ、では確認できなかったが、そういう動物群が投入されていたということか?」
「だと思いますよ。そもそもわたし、妖精さんがペーパークラフト作ってるところを見たことがなくて」
「間違いなく、彼らが作ったものだろうが」
「それはそうなんですけど……どうも、腑ふに落ちない部分もあって」
「というと?」
「いえ、おととい見た紙人間さんなんですが、原始的なホイッパーを持ってたんですよ」
「うむ」
「で、昨日は同じ種が一気に騎き馬ば文明になっていたんですけど。これって、自然なことですよね?」
「そうだな。家畜にクワをひかせるくらいになると、人口許容量は一気に跳ね上がる」
「たくさんの食料が手に入るからですね」
「そうだ。農耕における土地あたりの食料供給量は、狩しゆ猟りよう採集民とは比べものにならない。ゆえに農耕民は王や神官などの専門職を養うゆとりが出てくるのだ。結果として、狩りに慣れた狩しゆ猟りよう採集民よりも戦せん闘とう的てきな気質を持つようになる。農耕文明の方が、より野や蛮ばんで凶悪なのだ。また農耕に伴って道具も発達するし、それは鉄器や青銅器の誕生に?つながる。家畜化によって馬を戦場に乗り入れるための乗り物とするようになれば、周辺のより弱い文明を侵略するようになる。一連の再現性は驚おどろくほど高い。必然といってもいいな。対して狩猟採集民は、民族の性質として平等で誰だれかひとりが絶対的な権力を持たない。なぜなら食料の貯蓄が難しく、富の集中が起こらないからだ。この一例としては、」
「まあ、そういう話でしたよねー」
長くなりそうな祖父のトークを、強引に区切ります。
演説を途中でカットされた祖父は「うー」という顔をします。ああ、遺伝ですかこれ。
「……で、引っかかる部分というのは?」
「紙人間にとって、食料ってのはお菓子なわけじゃないですか」
ペーパーザウルスは、妖精さんの気まぐれ設計思想により、お菓子を体内におさめることに執着していました。
あのシリーズは皆そうなのです。
当然、ペーパー霊れい長ちよう類るいも同じでしょう。
このあたりは祖父も理解しているはずで、わたしは結論から述べることにしました。
「妖精さんはお菓子を作れません。恐竜たちも。でも、もし彼ら紙人間が自らお菓子を作れるのだとしたら?」
祖父の顔に、たちまち理解の光がさしました。
「……ホイッパー……そうか!」
「これって、まるで農耕ではないでしょうか?」
「うむ、む……」
農耕によって食欲が満たされた紙人間たちは、専門職を養う余裕が出て、それは結果として専門の兵士を生むことになります。
紙器のホイッパーは、さぞかし不便な使い心地だったことでしょう。
やがて耐水紙が生み出され、紙の技術が上がり、ダンボールへと到達し……技術の転用で武具までも発達していったとすれば?
「うーむ、なんとも因果な話だな」
「あれだけ紙工作ができることが、あだとなりましたね。正直、間が抜けている感もありますけど……」
「だからいいのかもしれん。そこが人間とは違うところだな」
祖父は物思いにふける顔で、窓まど際ぎわに腰を乗せます。
わたしも隣となりに立ち、清すが々すがしいほどの青空に顔を向けました。
「妖精たちがいなくなったのなら、ペーパークラフト騒そう動どうもじきに収まるだろう」
「そうですね」
三階の事務所からは、里の様子が一望できました。
「……ん? 誰だれか来るな」
「お客さんですか?」
建物への道を、ひょろっとした人影がのんびり歩いてきます。
少しぎこちない歩き方で。
その人物は、三階の窓から身を乗り出すわたしたちを見つけ、手を振ってきます。
「あのー、失礼します。国連の調停事務所を訪ねてきた者ですが」
「ここがそうですよ」
祖父が階下に声を投げ返します。
うん、お任せしてしまいましょう。
さっと頭を引っこめて自分のデスクに戻ります。
祖父はしばらく、旅の人と言葉を交わしていたのですが、
「……おい、おまえに用事があるそうだ。来るぞ」
「え? わたしに?」
「心当たりはあるか?」
ぶんぶんと首を左右に振ります。里の知り合いなんてほとんどいません。
やがて事務所のドアがノックされます。
「わからんが、相手してやれ」
「わ、わ、わ。あ、あ、あ」
祖父の無茶な要求にわたしの頭はまっしろになります。じたばたと手を振って無力をアピールしますが、空気をいくら攪かく拌はんしても状況はいっかな変化したりはしませんでした。
とりあえずドアを開けて出迎えるしかありません。
震ふるえる手でドアを開けます。
「……は、はい……調ちよう停てい官かんですけど……」
出た瞬しゆん間かん、軽く仰のけ反ぞりました。
帽子の下に仮面をつけていたのです。
太字で大おお雑ざつ把ぱに描いた人の顔。どことなくエスニックな印象です。
衣服も足首まであるポンチョみたいですし。
「な、な、な」
「ああ、これですか、失礼。これは我々のアイデンティティーでして。まあよそ行きの衣装とでも思ってください」
と仮面の下からくぐもった声で言います。
「は、はあ」
リアクションできません。
「ほうほう、南米の守護神ですかな、それは」
祖父が好奇心全開で話しかけます。
「ええ、仮面を作るときに用いた資料が南米の古代文明のもので」
「ふむ、空中庭園で発見されたものを参考にしたようだ」
「よくご存じですね、引退なさった種族とは思えない」
「なに、手て慰なぐさみですよ」祖父がお客さんを室内に手招きします。「さ、お入りなさい。汚くてすまないが」
「いえいえ。では失礼しますよ」
「おい、ランプどかしてくれるかね」
「あ、はいっ」
ああ、ひそかにマイブースにしようと狙ねらっていたわたし好みの暗くて狭い小空間が、本来の用途で用いられてしまう……。
わたしと祖父が並んで座り、対面に仮面氏を迎えます。
「で、どこの里から?」
「ああ、そこの山のふもとで……最近越してきたばかりですがね」
「近いな。片道数時間といったところか」
「いずれまた里の皆さんには改めてご挨あい拶さつを」
「ここの者たちはのんびりしていてね。その時は気楽に来てくれて構わんよ」
「ありがたい。皆さんとはよくやっていきたいものです」
「おい、お茶か何か持ってきなさいよ」
祖父がわたしに命じますが、即座に仮面氏が手を差し出して制止しました。
「あ、いや、我々は……その、戒律がありまして。訪ねた先での飲食には厳しい制限があるのですよ」
「変わった習慣ですな。どこかの少数民族の血筋であられるのかね?」
「まあそのようなものです。口にできるものが限られておりましてな」
「ほほう、あとで詳しくうかがいたいね。そういう話が好きでね」
「ええ、是ぜ非ひ」
「あの、それで……わたしに用……って……?」
消え入りそうな声で尋ねます。
仮面越しに発せられる?この人ちょっとヘンですぅ?プレッシャーがすごいのです。
「ええ、あなたがたいへんご高名なパティシエール(お菓子職人)だとうかがいましたもので」
「え、ええっ?」
パティシエールって!
「我々はそれに目がないものでして、是非一度、その……振る舞っていただけないものかと、ずうずうしくもお願いにうかがったしだいで」
「そ、そんな、その、パティ……じゃない、です……」
両手を腿ももの間にはさんで、わたしは軽くうなずきます。
「今はそういう、資格みたいなものはありませんからな。まあ孫は多少、菓子作りをたしなむようですが」
「しかし我々の里には、うわさが届いてますよ。とてもおいしいお菓子を作られると」
「ぃえ……そんな……です……」
もっと俯うつむいてしまいます。
このまま床に沈んでいきたい気分……。
「素材になるようなものをいくつか持参したのですが、差し支つかえなければ、これを用いて何か……それで、もしよろしければ、今後交易など……」
「おい、今日は菓子は持ってきておらんのか? 今朝方、何か作っていたじゃないか」
祖父が思い出したように言います。
「……フルーツケーキをちょっと……」
「フルーツケーキ!? 素晴らしい……そういう生ものは、なかなか口にできませんな」
「わけてあげたらどうかね」
「あ、えと……じゃあ……」
小走りでバスケットを持ち帰り、包装紙で包んだケーキを三つとも出して、そのままずずいと押しやりました。
季節のフルーツタルト。
野いちごを中心に、フリーズドライの果実数種を用いて仕上げた、パウンドケーキ。挟んであるクリームはほんのりバナナ風味。果実の鮮度に劣るぶん、野いちごはふんだんに用いています。
「さしあげ……さしあげ……」
「なんと!」
「たいしたものではないので……ごにょ」
「感激です。ああ、素晴らしい色いろ艶つやだ。ううむ、もう我が慢まんできませんな。さっそく」
仮面氏はマスクを少しずらして、指先でむしり取ったケーキを口内に押しこみました。
「お、おお……うまい、これはうまい!」
「……ども」
「私はそういう菓子はあまり食べないのでわからんが、君たちの種族は甘いものを好むのかな?」
「それはもう! 菓子こそ我らの生きる原動力といっても良いでしょう。ああ、もう少し、少しだけ……」
仮面氏はたちまちふたつのケーキをたいらげてしまいました。
「ああ、最後のひとつもいただいてしまいたいが、これは皆にも味わってもらわねば」
「生ものですから……おはやめに召し上がって……くださ……」
通気性のない長期保存用の紙で包んでいますが、さすがにケーキは何日も保もちません。
「そうですな。ううむ、もっといろいろなお話をうかがいたいのだが……早く持ち帰らねば。それでもしよければ……先ほどの話だけでも今ご検討いただけませんかな?」
「……え?」
横から祖父が肘ひじで突いてきます。
「おまえと交易をしたいそうだ」
「交易……」
「是ぜ非ひ。我々は独自の技術を持っています。特に今では入手しにくい素材のいくつかを技術復元しておりますので」
「お菓子の材料を?」
「ええ。そうです」
変わった里もあったものです。
今はどこも、自給自足の体制確立を第一にしている関係で、なかなか娯楽品までは手が回らない時代なんですが。
「……材料がいろいろあると、その……助かりますし……えと、その……いいです」
「お引き受けいただけると?」
「は」
「素晴らしい……」仮面氏は勢いよく立ち上がり、わなわなと震ふるえます。歓喜の身震いでした。「すぐ里に戻り、このことを皆に伝えねば……!」
「お帰りかね」
「はい! お名残なごり惜おしいのですが、今日のところはこれで失礼しなければ。この宝が硬くなってしまう前に」
大事そうにケーキを抱えました。
「次はもっとゆっくりしていきなさいよ」
「はい! それでは調ちよう停てい官かん殿! またの機会に!」
仮面氏は突風の慌あわただしさで、事務所をあとにしました。
「はー……」
わたしはプレッシャーから解放されて。ほっと一息。
「人見知り、本当に全然治ってないのだな」
「そんなことより……おじいさん、気付きましたか? 仮面をずらした時……」
「……ん、ああ、あれな」
顔を見合わせ、同時に口を開きます。
「紙っぽかったな」「紙っぽかったです」
まさかとは思います。
思うのですが、否定しきれないのも確かです。
わたしは、ペーパーザウルスやペーパーアニマルが、逐ちく一いちシリーズごとに作られているものだと思いこんでいました。
普通はそう考えますよね。
けど……ひとつの重大な可能性を失念していたようです。
あまりによくできた紙生物。
彼らはゴム動力という信じがたいほど単純な力で、驚おどろくほど緻ち密みつに、かつ長時間活動することができるのです。
なら、より高度な仕組みを発達させていても何ら不思議ではないはず。
たとえば……繁はん殖しよくとか、進化という仕組みを──
「思えば、事務所でおじいさんが拾ったゴミ……」
「よせよせ、考えるだけ野や暮ぼだ」
「これ、ほっといてもいいんですかね?」
「平和的に交易を望んでいるんだから、いいんじゃないかね? おまえだって、今後心おきなく菓子作りができるのだから」
「そうなんですけど……あの、もしかすると……廃はい墟きよで目もく撃げきされたペーパーアニマルって……生態系に適応して……それってつまり……」